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歌うことの快さを知ったのは、一昨年。
年末恒例の”第九”を歌う会に参加した。 ポジション(構えかた、肩や顔の位置)は変えずに、身体の中に息を入れ、鳴らすだけ。 身体は楽器なんだよ。 先生は言った。 どこにでも持ち歩ける楽器って、すばらしいじゃない? って。 合唱を始めて2年半。練習は2週間に1度というまったりペースで、メンバーもすでに子どもが成人したおばさまおじさまが中心。 一丸となって歌を追究するという雰囲気とは違うけれど、今、歌うことが快い。 ふだん大きな声を出す機会がないから、単純に開放感があって気持ちがいい。 うん、ストレス解消の役割は大きいな。練習が終わると気分はニュートラルだもの。 鬱でもないし、ハイになるわけでもない。肩の力が抜けていて、心のままにものが言える。 あー、書いてみて気付くのも今更だけれど、いい状態なんだなあ。 私にとってとても貴重な精神状態・ニュートラル。 そうなれるから、合唱が好きなのかも。 けどね、それだけじゃなくて、 身体を楽器として使う感覚が、ほんの少しわかってきたような気がするから。 私は楽器。 もっともっと、いい音を出せる。 ♪♪♪ ♪
12月は「師走」って名前のとおり、せわしない月だなあ。
大晦日までもうあと10日だ。 年を越せないくらい荒れている部屋の掃除に、もういい加減手をつけたいし、 美容院には行っておきたいし、 慣れない工作の完成締め切りも迫っているし、 年賀状でしょ、年末スキーツアーの計画(今ごろ)でしょ、 他もろもろ。 ひょぉ~~。 それに、貴重な年末年始の休みに出勤する羽目になるのを避けるために、仕事前倒しで最近は残業を続けているし。 残り10日はさらに加速しそうだなあ。 明日は休み。 やること満載なのに、なんだか「WATARIDORI」のDVDが観たい気分。 あの静かな空気が落ち着くんだな。 鳥の羽ばたき、その全身を使って無心に飛んでいる姿を見ていたい。 カモのシルエットが可愛くて好き。 あ~そういえば、めっきり散歩しなくなったから、カルガモを近くで見ていないなあ。 近所の川にいるはずなのだけど。この秋冬はまったく行っていない。 明日、行こうかな。 …逃避じゃないよ、息抜きだよ(笑)
すみません
って、よく使う。ありがとうというべきときにもすみませんと言っている。 損してるなあ…。 上手く これも、よく思考にのぼることば。 何でもかんでも私の目指すところは『上手く』やることなのか。 失敗が怖いことの裏返しだ。 失敗したからなんだというんだろう。失敗から学べることは大きい。失敗して自己評価が下がることを恐れるなら、失敗を恐れて手を出さないでいる今の自分への評価の方が低いなんてナンセンスだ。 つきつめれば私が1番恐れているのは、失敗によって人から否定されること。 “上手くやれる人間“というイメージを保っていたい欲求。 そう、必死で守ろうとしているのはあくまでイメージにすぎない。 中身がからっぽな容器、守り通したとして何になる? 自意識過剰生物がここに。 はやく(生身の)人間になりたーい。
最近凹み気味なもので、ここに書くことも普段考えることも下を向いている。
口を開いても、しゃべりはじめは明るかったのに終わりには悲観的になっていたり。 自覚はあるから、坂の上に置いたボールのようにごく自然に下っていく思考に我ながら苦笑する。 そればかりか職場の人と話していても、相手の言動に自分の不安を投影させていることに最近気付いた。 ちょっと目をそらされただけで、相手の心の中のことばが聞こえてくる気がする。 自分の失敗に対してあきれられたら… あの人はちょっとね なんて噂されたら… そんな不安が、相手の目線や言葉尻に勝手な意味を与えるのだ。 相手はまったく別のこと考えているかもしれないのにね。 自分の感情と相手の感情の境界線をくっきり引かなくちゃ。余分に消耗するのは避けたい。 でも、こうして投影する感情を見ると、つくづくマイナスに傾いているなあ私。 自分の思考の傾向を実感する。 クセってのはあるもんだ。 このクセを自覚して、客観的にながめて歪みをみつけるのが、認知療法。 そうとらえている。 思考がさらに下っていく前に、えいやっとペンを手にとり再開しようかな。効果はあったから。
だれにも 吐き出せない。
生きていくのにこんなにもたよりない自分のこと。 自立したいと強く思う反面、いつまでも何かに頼っていたいと思う弱さ。 ひとりで立っていられないくじけた心。 だけど、私の代わりに私を支えてくれる人はいないから、くじけた心のまま、かろうじて立っている。 ただ、立っている、だけ。
<いのちある限り生きつづけなければならない>
私はよくこう思って、先の見えない遠い道のりから目をそらしてしまうのだけれど。 (そしてそんな自分に自己嫌悪する悪循環) しかし、前回の日記でそう書いてふと思った。 この思いには、リアルな「死」が欠けている。 若くして死ぬとか、次の瞬間にも震災や事故が起こって死ぬかもしれない という想像力がない。 ただ漫然と、年老いるまで生がつづくことに疑いを持っていない。 なぜなら死は、私にとってつかみ所のないおぼろな存在だから。 それは、まだ今までに身近な人を亡くした経験がないからかもしれない。 だけど、子どもの頃は、死が怖かった。 寝ているうちに地震が起こって自分が死んでしまったらどうしよう、とか、家族が死んでしまったらどうしようと恐れ、毎晩一所懸命に祈った。 ”地震が起こりませんように” ”家族が明日の朝も生きていますように” ・・・ 思えばあの頃のほうが、生のあやうさを感じ取っていたような。 死とは、例えば母親が突然に居なくなること。 その恐ろしさに居ても立ってもいられなくなって、ただ祈った。 なんだろうなあ。 今は、自分の死を考えると、あれを処分しとかなきゃ~、これは人目に晒すわけにはいかんよ な~んて、くだらないことであせるくらい。 生まれたものは必ず死んでゆく。 死を身近に感じなければ、リアルな生もまた無いのかもしれない。 生に価値を感じるほど、死がリアルに迫るのかもしれない。
あの軽さ。
青葉の頃のしなやかさやみずみずしさが去ったあと。 重みから開放され、残ったのはかたちだけ。 いのちの抜け殻。 あんなふうに人生を終えたい。 この世への思い残しも恨み言も全くない、軽やかな去り際。 自然だからこそ、できるのか。 枯葉を見ると、その軽やかさに救われた気になる。 *** そんなことを考える私は、日々を生きていくのがつらい。 自ら命を絶つ覚悟も勇気も切迫もないため、 「いのちあるかぎりは生きつづけなければならない」 その道のりの長さに呆然とするしかない。 10年後20年後の自分が想像できない。いや、したくないのか。 日々、身体が重くなる。 歳をとるごとに、社会生活に根を張っていない自分をつきつけられる。 怒りややるせなさや嫉妬や泣き言が身体の中に積もっていく。 未来に対して、現在に対して、絶望的な気持ち。 はあ~あ。 (ため息って、苦しさもほんの少しだけ一緒に吐き出せる気がする・・・)
秋が好きだ。
葉が赤や黄色やさまざまな茶色に色づいていく頃も、紅葉の盛りの頃も好きだけれど、 葉が落ちて木の肌ばかりが目立つこの時期も好き。 乾いた葉っぱが道に降り重なって、風に吹かれて足に蹴られて乾いた音をたてる。 その軽さが好きだ。 でも、それは舗装路の上だからで、土の上じゃあこんなに枯れ葉にはならないのかな。 森の中の落ち葉ってどんなだろう? 東北のブナ森は、水分を豊富に蓄えるから、落ち葉がいっぱい降り積もった地面は、踏むとふわふわもこもこしているのかな。 想像してたら腐葉土の匂いまでしてきたぞ。 秋の森へ行きたくなってきた。
人との付き合い方を考える。
人と上手く付き合えるようになりたいもんだと思う。 今日も職場でそういう気持ちになったし、 今まで生きてきて、何百回と思ってきた。 が、ふと。 この、「上手く」が我ながら漠然としているじゃないか。 上手いってどういうことだろう。 「問題なく」?「非なく」? 「誰とでも」? 「衝突することなく」? うーん、こういうイメージだと、「上手く」=「八方美人」と訳せる。 ただノリの良い雰囲気で楽しく過ごす・・・のは、しんどい。 やってみたけどとってもしんどいし、私の場合うわべだけだから疲れる。 上手く付き合いたいんじゃないんだな。 それよりも、自分が楽な状態で人と付き合えるようになりたいんだ。 今の私のストレスは、自分の気持ちを相手に十分に伝えられないこと。 とりつくろった言葉が多いこと。 本音を出して否定されたり受け入れられないのが怖いこと。 ・・・でも、このストレスと恐怖は、「上手さ」をめざすかぎり強化するわけだ。 ほほ~。変な話。 上手さを願うのは今日限りにしよう。 自分の気持ちをごまかさずみつめる。 もやもやどよんと溜まったこのストレスとはおさらばしたいもんである。
最近目に止まったことば。
働くことは 学ぶこと 1行目はすんなり読んだ。 ふんふん、そうだよな~。 日々学んでるし、学ぶべきだよな~。 2行目にきて、ドキッとした。 「学ぶことは 変わること」 載ってたのはたぶんビジネス関連の記事だったと思うから、社会の変化に取り残されないよう日々学び自分を変化させて対応するのだ!的なニュアンスだったのかもしれない。 けど、考えてみたら変化って生きものにとってはとても自然なことなんじゃないか。 海水で芋を洗うサルとか~。 えさを用意してくれる場所に必ず毎年訪れる渡り鳥とか~。 …う~ん、例がいまいちだな。 大きく言えば、進化の過程で身体のかたちや特性を変えていった生物。 変わるために学ぶんじゃなく、学んだから変化したんだ。 だからこのことばは、モットーじゃない。 事実だ。 小さくつぶやいて、事実をかみ締めてみた。 元気が出た。
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自然が好き。 鳥が好き、木が好き。 自分の生を背負いきれていないハンパもの。 最近は ななめ後ろを向きながら、歩みを進めている。 (前っ、前見えてないっっ) カテゴリ
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